解放された自分&日本になるために今なにをするべきか?

自分に還る旅『大調和』 封印〜解放へ

心癒法セラピスト@横浜中華街ニライカナイ

私には書けない真っ直ぐな文章に出会いました。2017年12月29日(金) 10:27 語録

ガンのあるグループでの投稿で、私には書けない真っ直ぐな文章に出会いました。山埜透さんの投稿が、私の親子二代に起きたことをサトルエネルギー学会でお話させていただくキッカケとなりました。確かにもっと専門家に検証して頂き役立ててほしい。色んな意味で覚悟しましたが彼のこの文章が背中を押すのです。

快くこちらにも文面をご提供くださいました。
ご協力してくださいました山埜さんに感謝いたします↓

「偽りの希望と真の希望」

私は,以前も投稿させていただきましたが,直腸の進行癌(しかも肛門近く)であることを今年の5月に宣告され,医師から「切らなければ死にますよ!」(それは,患者本人からすれば,死を宣告されるという,これ以上ない恐怖心に訴えかけられたもののように聞こえました)とまじまじと言われ,何十分にもわたって繰り返し,がん細胞なるものの増殖力と転移力の恐ろしさを呪文のように唱えられながらも,自分の考えを伝え,未だに外科的治療は一切受けず今に至っている者です。

その立場から日々闘っている者として,今日は,一言だけ申し上げさせていただきたいと思い,投稿させていただきました。

癌にかかった人は,普通は現代医療に頼るものです。その恐怖心たるや,それは経験したものでなければ分からないものでしょう。けれどもときおり,ほかの方法を試そうとする人が存在します。

そして,医師たちから見向きもされず,余命宣告と共にそのまま放置された患者が,劇的な寛解をし社会に戻り,なんら変わりない生活を楽しめるようになった事例が山ほどあることも事実です。

一体,何を実践して,彼らは医師の予想を覆す偉業を達成したのか。普通に,科学的思考をもち,真実は何であるのかを追究する心をもった医療者であるならば,そこに思いをはせ,関心を抱くのは当然のことだろうと考えます。

しかし,劇的な寛解をした患者のほとんどが,医師からは「ほかの患者には黙っていてほしい」と言われたと告白しているのも事実です。

確かに,医師の気持ちは分かります。しかし,劇的に寛解する人が現にいるという事実を黙殺するのは,偽りの希望を患者に抱かせるよりも,ずっと罪深いことではないでしょうか。

仮説から逸脱した事例に遭遇したとき,研究者であるならば,それを吟味する科学的責務というものがあるはずです。そして,その逸脱事例を吟味してから,研究者であればとるべき道は二つ。

一つは,なぜ仮説に合わない事例が生じたのかを公に説明すること。もう一つは,その事例を説明できる新しい仮説を考え出すこと。

前回こちらで,私の今の治療法で治るなどというのは,「この時代,都市伝説でしかない」といったコメントまでいただきましたが,要するに,仮説に合わない事例は,十把一絡げにし頭ごなしに無視してよい,という選択肢は存在しないのです。

しかし,実際には,それだけのことをしようとする医療者が身近にどれくらいいるでしょうか。またそういった事実を無かったこととし感情論に負け,まな板の上に乗っかっていく患者が,どれほど多いことでしょう。

癌の克服は人類共通の目標です。現代医療なしで治癒した症例を黙殺することは,科学的に無責任なものであり,何か利権が絡んでいるか,少なくともフラットな立場で真摯にものごとを思考するという,誠意ある探究心を持ち合わせている者の態度とは思えません。

「偽りの希望を人に与える」とは,事実かどうか分からないことや,明らかな虚偽を人に伝えて,希望を抱かせるということです。ところが,《癌からの劇的な寛解が起きる理由は,今のところ説明不能ですが,それを体験した人が存在するのは事実です。》現代の医学では説明のつかない方法で,彼らは自分の癌を治したのです。

《この違いを理解した上で》,私は「偽りの希望を抱くことになりそうで怖い」と考えるのではなく,癌治療の鍵となるかもしれない症例を,科学的に検証していくことこそが正しい医療であり,患者自らも,はなから決めつけ間口を狭めさせるのではなく,そこに積極的に目を向け検討していくことが大事なのではないかと思うのです。

そのために,私は癌という病気そのものから疑ってかかりました。そして,いくつかの仮説(こうだから,こうなるのではないか。)というものをもって今の治療に取り組んでいます。

自分の体から発せられる様々な信号や声,症状,痛みなどに,予見をもち,《問いかけることで》得られる感覚や情報を,仮説と摺り合わせながら日々の生活や努力につなげていくと,また,新たな発見と仮説が生まれ,この病気や一つ一つ現れる症状に対する自分の認識がどんどん深まっていくのが分かります。

黙殺するのは簡単です。しかし,自分の体がこのように不調を訴えるようになったのは,紛れもない私自身の責任です。それを,また,元通り元の体に戻してやるのも自分の責任。

「がんを自力で治す」というのは,正にそういう患者一人一人のこの病気に対する向かい方から初めてできる,とても崇高で,本当に簡単には為し得ないけれども,すばらしい過程を言うのではないかと思います。

今年は,本格的な冬の到来も早く,やはり寒さは,体の節々に至るまでこたえますね。

深刻なストレスと闘病生活に悩まされた一年(約8ヶ月)でしたが,それだけに学ぶべきものや得がたい人とのつながりがありました。

どうぞ,みなさまも,より一層お体ご自愛いただき,また,よき一年となるようお祈りいたしております。

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ご自分と向き合い自然に人間らしく生きる行為とは?そんなことを書かれています。自然治癒を目指している間に、検査結果で確認できなくなる方も珍しくなくなってきました。私の周りは特に多いかも(^^)ご本人のお身体だからご本人が心からやりたいようにやってほしい。自分に偽らないで自分だけの氣持ちを大切に生きてほしい。

山埜さんは都市伝説と書かれていますが、すでに私のこの5年の活動では都市伝説ではなくなっていることに気づかされました。がんの事も忘れてお元気な方が私の知り合いで沢山いらっしゃいます。病院から手術を迫られて素直に怖いと認めて同じように離れた方も多いのも事実です。私も逃げたというか胸だったのもあるかもしれませんが「胸をえぐるような状態になります」と言われ手術は完全に無理でした。私には切るということは考えられなかった。

お元気になられた方は、がんと向き合うがいつの間にかご自分自身全てと向き合えれるように変わった方達なのかもしれません。

山埜さんの心からの社会への問いかけ…
心より感謝いたします(^-^)