最も純粋である前に…2019/11/29
手の症状が無理しなければ一年前の楽な状態に戻ってきました。
春からまた痛みだし、夏〜秋は施術引退を何度も決意しました。
もう心のセラピーを中心に心癒法メインで仕事しようと決めました。
心癒法で自分の心に何度も向き合っても来ました。それでも掘れていない部分があるんだろうなぁとも感じてはいました。
自分で認めたくない事実。
私の闇…
お世話になっている人にも拘らず、どう感じて受け止めししまっていたのか?それを私は気づかないうちに封印していた。傷ついて言えなくもなってしまった心の中の感情。
それを認めだしたら、ある事件が起こり、ようやく本人にも口にしたら、手首の症状が治りました。今はほとんど楽です。
『症状』とは内側からのメッセージ、自分の声を無視したキシミ、歪み。
今回、自分の感情を深く認めるための一人Oリングだったと実感しましたね。
『痛み』は自分に無理があるということ。
自分の心が硬直して奥に潜む本音を拾い切れていない。
諦めかけた矢先に答えは見えてくるでしょう。
諦めたくない時は力んでますからね。
心の奥底までそれぞれの問題を拾い切れてないことなんて、いつだって起き得るのです。
だから、症状が出たら繰り返し向き合ってもいいし、答えが見つからない時は休んでもいい。
ホッとすることをやればいい。
それも答えに近づいてくる。
それでも答えは自分の中に潜んでる。
心を鬼にしても、いや覚悟が瞬時にできて心と身体が揃った時に、一番言えない人にさえ、本音を伝えられる。その勇氣が美しいんだと思う。
『勇氣』って私ね、大好きなんですよ。
もうそれは鬼というより自分とお相手を愛する行為なのかもしれません。まだ理解されなくても認めれたら伝えることもできる力が湧いてくる。あ!『氵』に『勇』と書くんですね。
神の領域の技を自ら引き寄せれた瞬間なんだと感じます。
胸のシコリが消えた日も、あるものが内側から湧いてきた。なんか今さら自分で書いてて納得します。