他人の方々を優先してきた昔の思考の私へ…2019年12月17日(火) 19:44 語録
他人の方々を優先してきた
昔の思考の私へ…
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自分を心の底から
大切にできた時
己の本音に出会える。
心が揺らがない。
不動心を体感する。
5年半前の自分が書いたブログは今、2019年12月7日(土) 8:27 語録
5年半前の自分が書いたブログは今、大分状況が変わってしまったので書き直してみます↓
アイムの会の元子宮頸ガンでらした こじまもとこサンや乳がんでらしたricoさんなどに協力していただきながら、2012年12月21日から5年ほど活動していました元町のセルフヒーリングスタジオ TINGARAでお話会やワークショップを行うようになりました。途中、山手の丘 ひふみたまへ引越しましたが私の胸のシコリが消える日までは夢中でやってました。
5〜6個のサイコロ大の胸のシコリが消える不思議な経験の後、さらに不思議とひふみたまの空間のエアコンが壊れたり、なんとなく今のやり方でサポートするのは違うという感覚になり、そこも出て一休みしながら、今はご存知の通り心癒法を中心に活動しています。
『観る薬』という幻のDVDを作られた糖尿病を自ら治された山口まことサン。映像のお仕事をプロデュースされていたので本当は山口さんの糖尿の体験談を聴くのも楽しんですよ。
自分が治すという自らのご経験をお氣持ちに込め映像を作られ、『観る薬』として、映像の処方箋を私達に与えて下さってます。
この日は、彼と、今はすっかりお元気になられています子宮頸ガンを二度体験された自然治癒開花研究所 アイムの会 代表の こじまもとこサンの収録でした。でもこの映像は最初の1本目。これだけ残っているのですが2本目はたしか形にはならなかったかも。私も家賃、5年で終わりましたしね^^;
2本目の収録場所は私が作った元町汐汲坂のTINGARAでした^ ^
とても深い深いお話が飛び交って糖尿病で長年、いろいろ節制されている皆様に聴いてほしい内容です。
今は私が中華街にいれば、その体験談も何度かお聞きしているのでリレーさせていただいてます。私の母の肺がんのミラクルや私の胸のシコリ、スタッフのお母様の乳がんのトリプルミラクルの話、もとこサンやricoさんなどの体験談も沢山あります。
山口さんもまた糖尿病は心の病と捉えています。自分の考え方がすべて自分を作り出した…
私もほぼ同じ感覚です。
価値観を変える、捉え方・見方を変えれば、消えていってくれる…いや、存在するお役目が終わります。
一部の方々は気づき始めていることを…
youtubeで最初の収録はアップされています。
乳がんだった川崎の上川美智子サンとこじまもとこサンがyoutubeで見れます。
山口まことサンの糖尿病を心を楽にする生き方に変えて健康な身体を取り戻されました。
答えは自分の中にあることに気づいた人は、やっぱり輝いていました。
横浜中華街のお店の大家さんがビルを建て直す予定...2019年12月9日(月) 13:46 語録
横浜中華街のお店の大家さんがビルを建て直す予定が今後あるとかで定借の契約に変えたがられています。
それと同時に私の中でいつか向かえるその日までにどんな感情が突き動かされ、どこに進むのか?すごく楽しみになりました。場所もですがそれより生き方そのものが氣になります。
ある種、店を出さされるという勧告は今回2度目。7年営んだ以前のお店もビルを建てるまでの約束でしたので今のお店に12年前に移ってきました。
今回のビルは比較的新しかったのでかなりビックリしました。
まだまだ働き盛りという時期に、がん等の余命宣告を受けたというニュアンスと少し似ています。
でも今までできなかったことをだからこそやるチャンスと思ってイキカエル、本来の自分に還ることを残りの人生思いっきりやっていこうと!!そんな氣持ちになってます。
ブログの整理整頓と思い、2001年の春からお店を始め、2002年の冬からホームページと日記を書き始めた当時のブログに、昨日から私の今の回想コメントを下段に加えたブログを書いてみたら、まあー面白いこと(笑)
同じ人間なのか?!と思うほどメンタルが強くなってました。昔は社長なんて務まるのか?と毎日ハラハラドキドキしていたし、忘れられない人や離婚のことなど、落ち込んだ心の傷をずっと引きずりながら、それを忘れようとお店に没頭していたと今ならわかります。
私の中では自分がいつ亡くなってもいいように、遺書的な意味も含めて今後の仕事の展開や天命とも思える活動内容も書いていきたいと思っています。
でもまた20年後に自分を振り返って昔のブログに回想コメントがアップできても楽しいですね。未来の自分に声かけてもいいですしね(笑)
ちゃんと自分として私生きてるね!!って心から声掛けれるか??
その時、私は自分の心とどれだけ向き合って何を感じているのか?過去の自分にも未来の自分にもしっかり声掛けれるかは、今を生き切っているかですね。
どうせ生きるなら自分として生き抜きたい!!
辛いこともお腹の底から人生の分岐点のひとつの選択技としてメチャクチャ楽しみたい(^_^)
感情を大切にしていますか?
ご自分の感情を大切にしていますか?
それに沿って生きられていますか?
心の1人セラピー、主に心癒法をやるにつれ、心の闇の中に葬った感情に光を当てる作業がいかに大事か?
瞳は心の中と同じ輝き方をする。
全細胞がそうだと改めて思う。
恐怖心を感じきってきましたか?
怒りを感じきってきましたか?
悲しみを感じきってきましたか?
寂しかったと感じきってきましたか?
闇に光を当てることこそ
自分が何者か?
徐々にわかってくる。
そして全ての過程を楽しむ。
手の症状が無理しなければ一年前の楽な状態に戻ってきました。2019年11月29日(金) 16:06 語録
手の症状が無理しなければ一年前の楽な状態に戻ってきました。
春からまた痛みだし、夏〜秋は施術引退を何度も決意しました。
もう心のセラピーを中心に心癒法メインで仕事しようと決めました。
心癒法で自分の心に何度も向き合っても来ました。それでも掘れていない部分があるんだろうなぁとも感じてはいました。
自分で認めたくない事実。
私の闇…
お世話になっている人にも拘らず、どう感じて受け止めししまっていたのか?それを私は気づかないうちに封印していた。傷ついて言えなくもなってしまった心の中の感情。
それを認め出したら、ある事件が起こり、ようやくご本人にも言えたら、手首の症状が治りました。今はほとんど楽です。
『症状』とは内側からのメッセージ、自分の声を無視したキシミ、歪み。
今回、症状や痛みという現象は、自分の感情を深く認めるための一人Oリングだったと実感しましたね。
『痛み』は自分に無理があるということ。
自分の心が硬直して奥に潜む本音を拾い切れていない。
諦めかけた矢先に答えは見えてくるでしょう。
諦めたくない時は力んでますからね。
心の奥底までそれぞれの問題を拾い切れてないことなんて、いつだって起き得るのです。
だから、症状が出たら繰り返し向き合ってもいいし、答えが見つからない時は休んでもいい。
ホッとすることをやればいい。
それも答えに近づいてくる。
それでも答えは自分の中に潜んでる。
心を鬼にしても、いや覚悟が瞬時にできて心と身体が揃った時に、一番言えない人にさえ、本音を伝えられる。その勇氣が美しいんだと思う。
『勇氣』って私ね、大好きなんですよ。
もうそれは心を鬼にするというより、自分とお相手を愛する行為なのかもしれません。まだ理解されなくても認めれたら伝えることもできる力が湧いてくる。
あ!『氵』に『勇』と書くんですね。
神の領域の技を自ら引き寄せれた瞬間なんだと感じます。
胸のシコリが消えた日も、あるものが内側から湧いてきた。なんか今さら自分で書いてて納得します。
今、向き合えない人とも寄り添う力、忍耐力を持つ。2019年11月29日(金) 17:09 語録
今、向き合えない人とも
寄り添う力、
忍耐力を持つ。
4年も進歩なくてもレッスンを受けさせていただいた恩師の無言のお姿が脳裏に浮かぶ。
まあ、私は漠然と自分の原因を探り学びたかたったけれど、当時は結局怖くて怖くて真髄の入口さえも日々向き合えなかった。
自分の中に答えを見出せない時、人は苦しい。
人のせいにもしたくなる。
身体はボロボロになるだけ。
本当は心がボロボロなんだ。
なんでも隙間を持ちたい。
心の曇りは身体の曇り。
隙間は心の晴れ間。
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深呼吸して
心の塊を
自分で見つける
勇氣を持とう。
寄り添い
自分に謝り
自分を受け入れ
我という暗雲を解放していく。
自分は悪くない。2019年11月18日(月) 10:53 語録
自分は悪くない。
確かに根っこは皆いい人。
だから正論なんだけど…
ついついやってしまう。
心を楽にしていきたいのに
これを手放せない。
いい人でありたい。
負の部分を認めれない、受け入れられないジレンマ・恐怖心が湧き上がる感覚を無感覚にするために蓋をする。
感じようとしない。
自分をみない。
自分を誤魔化す。
自分を押し殺す。
そこに対して幾度となく執着となって学びは目の前にやってくる。
何度も直視できない。
また全体が何も見えなくなるだろう。
全ての自分を受け入れられるようになるまで、自分は悪くないという世界に陥ってしまう。
本当に自分は『自己正当化』していないだろうか?
深呼吸をゆったりできるようになるまで何度も溜まった無自覚な感情を吐き出すにつれ、リラックスできるようになる。
優しく自分に聴いてみる。
自分を責めずに聴けるようにしていく。
自己正当化してきていないだろうか?
(指摘されてムキになっている間は解らない内容です。)
ようやく自己正当化を自分で認めれるようになってきたら、
『その奥にある感情はどんな感情だろうか?』
何度もそのまた心の奥の隠されているものを掘っていってみたい。
自然とまたその奥の奥の奥を自問自答する時期が来るだろう。
まだまだいくつも隠している私達を赦していくことが楽しくなるまで。
いや、心の奥に底辺がどうなっているのか?奥底に何が待っているのか?
『傷ついた自分』からの紐解きを楽しみたい。