解放された自分&日本になるために今なにをするべきか?

自分に還る旅『大調和』 封印〜解放へ

心癒法セラピスト@横浜中華街ニライカナイ

病でもボランティアでも義務感と自己犠牲が抜けきれない場合、2018年11月17日(土) 7:39 語録

病でもボランティアでも義務感と自己犠牲が抜けきれない場合、がむしゃらに周りの人のために頑張りすぎる。私も東北の時は日帰りが多かったものの、仕事も休みなくやっていたので、最終的に東北に行けなくなったのは過労によるギックリ腰、そしてとどめがボランティアでの手首の負傷でした。「自分がなくなる」ほどやらないのが今回からのボランティア活動の自分なりの課題。

そういうがむしゃらな感覚でやりすぎない!と愛媛に行く前にノンストップでやらないとこの会に書いた。この会ではまず自分を大切に。そして自分に正直にとずっと書いてきたから…

でも3日目の徳森仮説住宅の集会所では大盛況となり、午後からは私1人でほぐすことになっていたので最終日は五分しか休憩を取らなかった。その五分で前日のお礼とお弁当を買ってきて下さった仮設のガン患者さんからの差し入れをいただきました。
最終日なので全員受け入れたかったのですが…それでも混みすぎてお一人だけ時間がなくてお断りしてしまいました(涙)

そんなことをしていたので残り2時間前から身体の声は、腰がギックリ腰の手前のような感覚。旅先でギックリ腰はマズイ、笑えない。

帰る日の4日目は1日だけ全く知らない愛媛を周りながらなるべく被災した方々からお土産を買い、出会ったセラピストさんと交流し横浜に帰る予定でした。

初めてボランティアに向かった地域で自分をのんびりさせたい。愛媛を知りたい。東北で教えてもらったこと。東北ではまだそれさえ自分に赦していなかった。

ミカンを手でもぎたいと話したら、今回、運転手をかって下さったRさんがミカン狩りを手配して下さった。施術中の話でどなたに頼んだかも理解していなかった。そう、腰が悪くなる前日に予約してしまった。

ところが現場に行き、お話を聞いて山の上でギックリ腰になってもご迷惑になるかもと思い参加するのをやめた。ボランティアと知らないので気楽にお断りしてしまった。

その後、それもボランティアという形だったと気づいた(大汗)。とりあえず、宇和島まで連れて行ってもらえたのでミカン畑までついていくとそこは被災されたミカン畑だった。後から申し訳なく思えた。

それでも今回は私の専門以外では無理しないと決めていたのだと思う。

その日はボランティアをしない。
愛媛という場所を知る日とする。
お土産という援助をする日。

しっかり心の奥まで決めると自然の流れでそうなった。もしミカン狩りも被災者のミカン畑の2日前の予約した時点でボランティアと聞いていたら無理して登っていたに違いない。でもそれは身体はもうキツくて拒否し始め、きっと山の崖でギックリ腰になっていただろう。

無意識に今回の課題はギリギリだったけれど、正直に行動できた。

それでも宇和島のボランティア関係者の方々にご迷惑をかけてしまった。でも昨日の目的だった被災されたミカン畑からミカン箱を買え、それ以上もそれ以下もなかったと信じることができた。

その後、いつもの神社跡巡りも急遽ミカン狩りをやる予定の時間が空き、少し車を走らすと鳥居発見‼️宇和島の吉田町で神社とお地蔵さんのお話を詳しくして下さったた神社の隣のお店の男性。どこにも看板なかったが佐々木商店らしい^^神社と共に浸水されたそうでお話のお礼に愛媛の日本酒が購入できた。

きっとそういう日にしたいとだけ決めた日だったから、本当にそういう日になっていく。

自分が自分にボランティアを無意識にさせなかった。手と腰を休ませ今日からまたお仕事。

病とか大事故での治るか治らないかもほとんど思い込みを無理やり変えるのでもなく、どう捉え方の立ち位置を変え、本当の本音に寄り添えるか?そこなんだろうと感じる。

自分が心に深く決めたことが、それを忘れたとしても心と細胞は決して忘れないでいる。その法則は絶対なのかもしれない。治るも治らないも自分の中の神性さが握っている。

何度でもその神性さは自分で高められる。

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