解放された自分&日本になるために今なにをするべきか?

自分に還る旅『大調和』 封印〜解放へ

心癒法セラピスト@横浜中華街ニライカナイ

尊敬する女性が急遽熊本から横浜中華街に来てくださいました。2018年10月5日(金) 11:17 語録

昨日、人生でまだ出会って4回目の尊敬する女性が急遽熊本から横浜中華街に来てくださいました。

その方とはまだ震災がなかった熊本阿蘇に当時糠風呂屋さんがありまして、そこに泊まりにいった時にお互い糠風呂屋さんのお客さんとして初めてお会いしました。

2回目は阿蘇が震災して阿蘇の知り合いが彼女だけ浮かんだので心配でご連絡させていただき、そのままボランティアに行きたいとお頼みして、また野草ハーブパッドとほぐしをしたかった私のために野草を集めてくださいました。

素敵な古民家のレストランの一角をお借りしてやったのですが誰も来なくて(笑)、その方も家がすごいことになって避難されていたので、結局その方を丁寧にやらせていただきました。

その時に水俣病のカメラマンを亡くなられたご主人がされていたと話され、今度、熊本の南にある水俣水俣病の方のためにボランティアに来て欲しいとお誘いくださったのです。

彼女との3回目は、また野草を集めてもらい綺麗に枕カバーにつめるという作業をお頼みして水俣で再会しました。

水俣病の方と初めてお会いしたわけですが皆様とても魂が高い方ばかりで、わたしがボランティアさせていただくという意識がハッキリ感じ取れるという感覚の中、ほぐさせていただきました。ご自分の存在そのものが人を満たすことということを知っておられる方々でした。それはなんとも言えない感覚で私の心が満たされていくのです。

そして4回目が昨日でした。中華街のわたしのお店まで遊びに来てくださって1時間ちょっとの会話でしたがとても嬉しく楽しい時間で握手して別れました。

「また、会いましょう。」とメールの返信をくださいました。

今年は災害が広範囲で起きすぎて、水俣に行くと言っていたのに迷いが出てしまい、ご連絡をしていなかったのですが…何もそのことは語られずに私のペースを暖かい眼差しだけ送ってくださり全てを受け止めて下さっていました。

彼女の亡くなられたご主人は有名なカメラマンで検索したらすぐに出てきます。水俣病の裁判の時も彼の写真がとても心を動かしたとネットでも出てきました。

当時の水俣病のお子さん達の素顔に魅了され、撮り続けていたご主人は水俣のご家族にとても信頼されていたようです。報道カメラマンには子供を撮らせたくなかったご家族が彼ならと子供を撮ってもいい…撮ってくれ…とおっしゃっていたそうです。写真に愛を感じられたのだと思います。

またこちらのグループの神社跡探しのツアーに水俣病のボランティアを重ねられたら…なんて勝手にイメージしつつ、実現しましたらメンバーのセラピストさんもよろしかったらボランティア参加していただけたらありがたいです。

お茶菓子まじえながらの団欒のお部屋もあるので違う病氣の方もよろしかったらご参加ください。生まれた時から水俣病という方々の精神性…少し会話させていただければすぐ感じられると思います。

そのお氣持ちに触れるだけで、ご自分が病を通して何を怖れ何を気に過ぎてエネルギーを使い果たしてきたのか?何が大切なのか?なんとなく伝わってくると思います。

いつかいつか私も熊本へのそんなオフ会を昨日からイメージしております(^-^)