奥底に秘めているもの
悲しいことを
悲しいと認める
素直さこそ、
怖いことを
怖いと認める
強さこそ、
秘められていた
本当の原動力となる。
お店の営業時間について
窓も多く風通しのいい当店は密室にはならない安心な空間で私たち働く側も居心地がいいです。
それでもやはり密になることは氣をつけたい時期でもあります。
ご迷惑をおかけしていますが、まだまだスタッフの人数もその日によるのが現状です。
それで、日々営業時間もマチマチとなっております。
閉店時間が19:00〜21:30の間。
遅くて土日祭日22時までとなります。
遅番のスタッフがいる場合は電話予約受付最終時間はいつものように21:30です。
どうしても遅番スタッフが出れない場合は治安上のため早めの閉店を現在はしております。
お電話にてご確認された上、早めのご予約が確実です。
『絶対』しなければ、やらなければいけないというお店のスタイルを柔軟にさせていただきます。
やはり、私もこのお店が好きなのです。
厳戒態勢のコロナ中に強く感じたことでもありますが、長期的にこの仕事を続ける氣持ちがさらに増しました。去年から立ち退き話も出ていますがなるべくここにいたいのが本音です(^^;;
私達も健康にベストのコンディションでいれるように、身も心も健康的にユルイお店にしていきますので、どうかご理解の上ご来店いただけたらと思っておりますm(_ _)m
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いつかニライカナイの風通しの良さについて投稿しますが、窓はかぞえてみたら1階になんと6枚!2階が5枚!
写真のように左上の窓も開けれますし、手作りの引き戸もその横の窓も表玄関、裏玄関ともにありますので風通し抜群です。
獅子舞も
踊って入って来れるくらいデス(^^)
他人だけでも自分だけでもない。2020年3月19日(木) 8:32 語録
人様のことだけを優先してきた私が昔はいた。
それが当たり前だった。
置き去りの自分に気づく前に、
自分も大切にする
好意を受け取る
そんな体験を苦手でも実践してきた。
やっと自分のことも大切に思えるようになってきた。
でも今はコロナウィルスで少し世界が混乱気味。
私のお店も中華街なのでかなり影響あり。
そんな時に経営的にも人間的にもとにかく全体を観ることを学ぶ。
それを実践する。
自分だけでもダメ。
他人だけでもダメ。
中華街だけでもダメ。
自分の県だけでもダメ。
日本だけでもダメ。
世界を?
それよりコロナウィルスの立場も考えたい。
立ち位置を変えてみたい。
滅菌、滅菌と騒いでいても何か違わないだろうか?
地球も他の微生物も私達も息することさえきついものをコロナだけのために撒き散らす。
しかも消毒液が店頭にないくらい…
私は自分で免疫力をつけることに意識を置いている。
呑まれなければ影響は最低限で終わるはず。
私達には抗体を作れる力が本来備わってる。
大したことでもなく、ありきたりの手作りの発酵食品(適当な作り方の酵素や梅干し、漬物など)を食べ、腸内細菌の環境を整える。
無農薬の松や玄米、よもぎ、伊予柑の皮を気分でお風呂に入れてるだけ。
そんな感じでお肌に常在肌菌を強化してるだけ。
お肌はいつもサラサラ。
この数年でローションやクリームも何も塗らずに乾燥しないようになった。
あとは恐怖心をなるべく、立ち位置変えて、何がこの時期人間として身勝手に考えずに学べるのか?
それを意識している。
これが一番関心ある。
きっと私たちは考え方は様々でも今とても貴重な体験をしている。
端切れのオーガニックガーゼを小さく切り、それを何度も洗っているマスクに重ねて使う。
私の両親は戦争時代、まだ小中学生の子供だったが、私には戦争中のことを考えたらモノを大切にしなさい!モノは最後まで何かに使えないか?
工夫する!といつも戦争中の苦労話をしてくれていたので断捨離の前に使えるか?
それを考える。
ゴミはなるべく簡単に出したくない。
消耗したい。
使い捨てのマスクさえ、私は昔から洗っていた。
親の影響。
人にはケチ臭く思われる。
でもポケットから落として無くなるまで使い続けていた。
ブレない。
不潔とも思わない。
昔の兵隊さんのこと思うとできない。
今年も使用中の2枚は去年からのモノ。
あり得ないくらい化石のようなお婆さん感覚の私。
でもマスクのない今、それでいいんだと思う。
やっとそんな時代が来たと内心喜んでる自分がいる。
使い捨てマスクがないという恐怖心より、コロナに対しては過剰にはならないようにしている。あとは普通にしていたい。
自分そのものでいることを大切にする。
そんな感覚の方が心と身体の免疫力は保たれ、地球を消毒まみれにするよりずっとずっとマシと思っている。
他人だけでも自分だけでもない。
でもこんな時期だからこそ、自分そのものを探って行動していきたい(^-^)
卑しい心って無自覚になりがち。2020年3月6日(金) 15:45 語録
卑しい心って無自覚になりがち。
簡単に見え隠れを許しながら認めないことが多いもの。
それを見つけた。
なぜ卑しい氣持ちが生まれたんだろう?
元々あったものもあるし、人にされたからそれが生まれたってものもあると気づいた。
全くない人が最も素晴らしいのかもしれないが、自覚したことを自分に誉めたいと思う。
普通の人はほぼ認めたくない。
でも否定する自分がある限り、ストレスは体内に残るだろう。
卑しいとは人を好きになれない!信頼できない時に生まれやいと感じた。
無理に好きにならなくていい。
そういう時は離れる。
いつか心から好きになれる。
それまで自分のいけないと思う部分を赦し、まるごとの自分を受け入れる訓練をしていきたい。
魂の叫びはいつか静寂になるはず。
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『いやしい』とは
自分でしか『いやせない』
卑しさがあったこと
見つけたことから
心と身体の
癒しが始まる。
全ての感情を
自分が味わい尽くす。
自分の負の感情は あるわけない、、、2020年3月1日(日) 12:04 語録
自分の負の感情は
あるわけない、
無意識にあったらいけないと
自らなかなか認められない
探せないもの。
人は凍らせた心を持っている。
仮に怒りという感情を
充満に詰め込んだ
凍った心が溢れると
無自覚な微細な怒りという熱が
ずっと大量に気化してくる。
空間を埋め尽くしていく。
終わりなく心の中にずっと残る。
それは自分が十分認めないと
その感情はそこ(底)にある。
いくつもの負の自分を認める。
気づこう、探そうと認めるだけで
心と身体に隙間を作る用意が始まる。
探せた時にしっかり自分を
褒めてあげたい。
それも自分なんだと…
お相手が傷つくかもしれないけど。。。2020年2月18日(火) 14:25 語録
お相手が傷つくかもしれないけど
嫌だと感じたことを
なんとか実行できた。
私もお相手も全面的に
喜ぶことにならなかったが
冷静に自分を優先することができた。
周りを大切にする
過去の私の内側から
後味は悪いことも浮かんできたが
今の自分を大切にできた瞬間だった。
今を生きるということを
全うできた!!と
自分の判断・行動を
褒めようと思えた。
その夜はストレスがなかった。
(自分への臨床は続きます。)
もし、誰かを傷つけてしまったとしても… 2020年1月29日(水) 10:25 語録
もし、誰かを傷つけてしまったとしても…
自分の氣持ちを押し殺すのは
やめようと私の身体が教えてくれた。
正直になればなるほど体調がいい。
傷つけてしまうからと
口籠ったり、
言葉を呑み込むことより、
体内に溜めてしまうことの方が
しなくていい社会になればいい。
そこにはどなたも
イサギヨサを持つ決断と行動がいる。
人は傷つけ傷つかないと
なかなか学べない動物なのかもしれない。
綺麗事ってそんなに必要なことだろうか?
社会のモラルとして優等生である
スマートな人とか、淑女、紳士は素敵だけど
自分を壊せないだけなら苦しいと思う。
その行動の先に答えがあったりするから。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
自分のトラウマの感情と
向き合うのがきつい時は
自分を傷つけた人の幼少の頃の
トラウマを想像しただけで
理解できる感情が見えてくる。
お相手にどこか何か
許せる氣持ちを持てるようになる。